2020-01-01から1年間の記事一覧
阿久刀神社1の続きです。前回は、「延喜式内社調査報告」など辞典的な資料を中心に由緒等をまとめました。今回は、高槻市による当社周辺地域の弥生~古墳時代に係る発掘成果より得られる時代変遷の話から始めたいと思います。 【神社周辺地域の弥生~古墳時…
(”2”の記事で、当神社から今城塚古墳周辺の発掘成果も含めて、古代加茂氏との関係、ご祭神のことなどを考えてみました) わが高槻市の「延喜式」式内社、摂津国部門で西成郡の坐摩神社に続き、嶋上郡の堂々筆頭(といっても、後は野見神社、神服神社、三島…
JR阪和線で鳳駅あたりに差し掛かるたびに見える、鬱蒼とした社叢「千種の森」がとにかく印象的で、参拝してみたいと思っていた神社です。谷川健一編「日本の神々 和泉」では゛大鳥神社゛の表記になってましたが、今は大社表記になってます。地名の鳳は、当…
鴨都波神社と共に、京都の上賀茂・下鴨をはじめとする全国の賀茂社の総社の一つとして著名な、古代豪族、鴨氏の氏神社です。鴨都波神社からは、結構南に位置しますが、こちらが昔の゛葛上郡゛の上鴨社です。社地は、かつての葛城山である金剛山(今の葛城山は…
(2022.12.02. ヘボソ塚古墳出土銅鏡写真追加) 兵庫県の神社を初めて取り上げます。阪急岡本駅からも歩ける距離ですが、この日は閑静な住宅街本山北町のコインパーキングに車を停めて参拝しました。 ・登り坂の手前に掲示 【鎮座地】 六甲山を背後に控える…
高槻市の有名な遺跡、安満宮山古墳から見下ろした麓の位置に鎮座する、何とも気になる神社です。記録で見える限りでは南北朝から存在が確認される安満村の鎮守社でした。゛安満゛の由来については、北接する成合村にあった金龍寺の旧称安満寺にによる(大阪…
1の記事では、神社のご由緒や伊勢神宮との関係、女陰岩窟信仰などについて触れました。引き続き、濃厚に関係するとされる比売許曾の神の話に続けたいと思います。 akuto508.hatenablog.com 【姫島の比売許曽神】 新羅上古の王室系譜で、実在の王名とみられ…
(2の記事では、太陽女神信仰と関連するという比売許曽神信仰の事や、対する東出雲王国伝承の話などをまとめました) 大阪の八尾市の東、高安山の中腹に鎮座する神社で゛天照大神゛という恐れ多いお名前に引かれて参拝しました。駐車場有りとの事なので車で…
その親しみやすくインパクトの強い神社名からか、葛城地域でも最も参詣者の多い神社の一つと言われる葛城一言主神社。「古事記」に載る、゛吾は悪事も一言、善事も一言、言ひ離つ神、葛城の一言主大神ぞ゛というお言葉から、どの様な願い事でも一言の願いな…
葛城地域において、ここより南方に鎮座する高鴨神社と共に、京都の上賀茂・下鴨をはじめとする全国の賀茂社の源流の一つとして著名な、古代豪族、鴨氏の氏神社です。京都の加茂さんよりコチラが元祖ということです。高鴨社が上鴨社なのに対し、鴨都波社が下鴨…
(2023.5.21写真追加) 奈良県磯城郡の鏡作神社の続きです。前回はご祭神の経緯や二つの神社掲示の齟齬、天香語山の後の尾張氏との深い関り等を話題にしました。 【鏡作神社と物部氏】 鏡作神社は尾張氏だけでなく、物部氏とも無関係ではない、と谷川健一氏…
(続編2として、物部氏も関わる事や、三角縁神獣鏡にまつわる氏族どうしの大和争乱の伝承などをまとめました) 魅力ある、いかにも意味深そうなお名前を持ち、現代では美の神様として美容師さんや鏡業界の方々の参拝が多いという神社です。拝殿前の「記念碑…
平安時代のご祭神などについてまとめた、多神社1の記事からの続きです。伊勢神宮と多神社の関係の話の途中でした。今回の写真は、゛大社゛多神社の周囲に鎮座する御子神社を中心に載せます。いずれも堂々の式内社です。あと、周囲三方の見事な絶景も。 akut…
(伊勢神宮と鹿島神宮、そして多氏と中臣・藤原氏との関係の話さらに摂社ヒメミコ神社などについてはパート2にまとめました) akuto508.hatenablog.com 「古事記」を編纂したことで有名な太安万侶などを輩出した有力豪族、多氏ゆかりの神社として有名な多神…
藤原鎌足にまつわる遺跡や伝承が多く存在するという茨木市の安威地域。さらに「日本書紀」の安閑紀に三島県主が朝廷に献じた良田である゛上桑原・下桑原゛とされる桑原も近い、安威の集落に鎮座する神社です。昭和29年に茨木市に吸収されるまで、三島郡安威…
今回は珍しくお寺です。誰もが知る、聖徳太子が創建した、日本最古の官寺ですね。JR・地下鉄天王寺駅、近鉄あべの駅から徒歩で15分、地下鉄谷町線四天王寺前夕陽丘駅からは徒歩5分で着きます。 創建の経緯は、「日本書紀」にある通り。仏教を排斥しようとす…
縄文期の頃まではまだ完全な島だったという島根半島の東端、美保湾の奥の方に鎮座する、現在では青柴垣神事や諸田船神事で有名な神社です。「出雲国風土記」には既にその地名は見えていて、”美保浜。広さ一百六十歩。西に神の社あり”と、当社と思しき記載が…
引き続き出雲大社について。前回は、ご祭神の大国主命と出雲国造の関係や、本殿の神坐西面についてふれましたが、今回は中世以降の運営や、主な祭祀の話題をまとめたいと思います。 【出雲御師】 律令制が乱れて荘園が乱立する時代になってからは、出雲大社…
(出雲御師や国造家分裂、国造身逃げ神事などについては、続編2にまとめています) 出雲といえば、とにかくこの神社。この大社を参拝する為に出雲に行くという、山陰を代表する観光地ですね。出雲に旅した時も一番にこの神社に参拝しました。今は大社は幾つ…
斐伊川に合流する赤川の南岸に鎮座するこじんまりしたお社と、その隣に移築された山陰地方ではきわめてめずらしい竪穴式石積石室を持つ、4世紀中頃の古墳です。昭和47年からの赤川拡張工事で神社を旧鎮座地から少し移築する必要となり、その旧本殿の下の古…
秋には紅葉の穴場スポットともなるらしい、素晴らしい神社でした。エントランスの階段の横幅が堂々として、国道の大通り沿いにもかかわらず一歩境内に入ると本当に静かで重厚なたたずまいに癒されました。 【近隣の発掘遺跡】 考古学上の発掘成果によると、…
有名な玉造温泉街の中心部から少し南の、玉湯川の右岸に鎮座します。「出雲国風土記」の意宇郡の条に、”玉作山(花仙山)郡家の西南二十二里なり。社あり”と当社の記載があります。さらに同書では、この玉湯川の谷間と花仙山を隔てた忌部川の谷間の地域につ…
大阪、奈良においては、「庶民の霊山」として親しまれてきた生駒山。NHK-BSの紀行番組「新日本風土記」でも、番組テーマとして取り上げられるほど、地域の人々に深く信仰され、多くの物語を持つ重要な山です。 その番組では、山を信仰する多くの人々の…
熊野大社から車で松江の方向に向かって15分程、意宇平野に入ったあたりの谷間の斜面にこの神社は鎮座しています。境内までのアプローチは重厚な雰囲気が有りましたが、大ぶりな石段は正直歩きにくかったです。 ・駐車所から少し離れた一の鳥居。参道が長い…
以前に、出雲地域を旅行した際の写真に、各歴史遺跡に関する少々の情報を添えて記事にした事がありますが、特に重要な神社についてはもう少し情報を追記してまとめた直したいと思っていました。この新型コロナ感染拡大でなかなか新しい所に行こうという気に…
(2022.5.24写真更新) 地元では「いくたまさん」の愛称で親しまれ、難波大社の堂々たる別称も持ち、大阪の総鎮守とも称される、いくくにたま神社です。江戸時代には幕府の保護もあり、神社境内から数多くの上方文化芸能が花開き、近松門左衛門の「曾根崎心…
「学問・至誠・厄除けの神様」として誰もが知っている、菅原道真公をお祀りする太宰府天満宮です。神社によると、全国に約12000社は有るとされる天満宮の、総本宮です。摂津三島では、上宮天満宮(高槻市)や蹉跎(さだ)天満宮(枚方市)があります。参拝…
JR紀伊線の、和歌山駅から3駅大阪側にある紀伊駅より、徒歩で20分くらい歩いたところにある、「延喜式」神名帳にも”紀伊国名草郡大屋都比売命、名神大月次新嘗”とある式内社です。ご祭神は、中央の主祭神が大屋都姫命、向かって右の宮に五十猛命、そして…
(2022.5.24更新) 鶴橋駅から歩いて300m程の、下町風情の街中にこじんまりと鎮座している神社ですが、この社は記紀で説明されてるほど由緒があります。「古事記」では、新羅から難波に渡って来た天之日矛の妻で”難波の比売許曽の社に坐す阿加流比売神”とし…
JR博多駅からおよそ20分程歩くとたどり着く、主要都市のど真ん中に堂々たる敷地を確保する、真に由緒ある神社です。”住吉”といえば、大阪人にとっては”すみよっさん”として親しまれる住吉大社が真っ先に思い浮かびますが、ご祭神の底筒男神、中筒男神、表筒…