当社の掲示説明で掲げるご祭神は、饒速日命と高皇産霊尊。その説明では特に、『古代においては神社と部族の関係は密接であって、神を中心として部族が構成されていたからであって古い由緒のある神社のあるところはその神を奉斎していた部族の居住地であった…
現在のご祭神は、天穂日命、野見宿禰命、菅原道真公の三柱です。当社は「日本最古の天満宮」と謳っておられますが、確かに「延喜式」神名帳の大和国添下群の小社「菅原神社」と見えるのが当社ですので、「延喜式」以降に登場する天満宮各社に対して確かに一…
葛木倭文坐天羽雷命神社のご祭神は、倭文の祖 天羽雷命。「日本書紀」では『武葉槌命』と表記され、出雲の国譲りの話に登場します。最初に葦原中国に派遣された天穂日命が大己貴神におもねり、次の天稚彦命も大己貴神の娘・下照姫を妻にしてしまった後に、天…
社伝では、ご祭神を邇邇芸命と天剣根命とします。ただし、神社に備え付けられた解説文(葛城市歴史博物館の神庭茂氏による。2023年12月付)によると、邇邇芸命一柱であり、剣根命については、葛城国造(葛城直氏。武内宿禰後裔の葛城氏とは別氏)の祖先とさ…
今回は、奈良県天理市の市街から東方に少し入った大和高原、つまり旧都祁(ツゲ)郷の氷室神社を中心に、別日に訪れた奈良公園の氷室神社と併せて取り上げます。現在、神社の掲示板に掲げられているご祭神は、闘鶏稲置大山主命、大鷦鷯尊(仁徳天皇)、額田…
長柄神社の境内の掲示に記される現在のご祭神は、下照姫命。高鴨神社の主祭神である味耜高彦根(アジスキタカヒコネ)神の妹神で、出雲の国譲り説話の中で返り矢で命を落とした天稚彦命の妻ともされます。当社創祀の年代は明らかではありませんが、「日本書…
式内社・都祁山口神社を称する神社は、天理市杣之内町と奈良市都祁小山戸町の二社が論社となっています。今回は別日に両社を参拝させていただきました。杣之内社は「道の駅 なら歴史芸術文化村」から歩いて行けて、手前の厳島神社の前を通ると近いです。小山…
山邊御縣坐神社は式内論社が二社ありますが、当社はその一つです。西井戸町の集落の中、中ツ道沿いに当面して鎮座しています。布留川と初瀬川の合流近くで、「和名抄」の山辺郡長屋郷の中と推定されます。現在、当社の掲示板で明記されているご祭神は、建麻…
現在のご祭神は、主祭神として天照大神と素戔嗚命。配祇神として、臣狭山命、天児屋根命、大山祇神、稲田姫命、印色入日子命が祀られています。こんなにご祭神が多いのは、明治時代終わりの合祀政策によるものです。「式内社調査報告」で伊勢戸佐一郎氏は、…
古代史や考古学において、「鏡」に関する謎やロマンは尽きることがありませんが、その「鏡」の名を持つ神社が大阪の東大阪市にあるということで、参拝させていただきました。明確な名前の割には祭祀氏族像が混迷していて謎だらけなようですが、そういう中で…
現在の当社掲示によると、国常立尊(クニトコタチノミコト)を筆頭に、1918年に逢坂村の大上宮神社より合祀された天照皇大神と猿田彦大神、1850年頃に境内若宮社から合祀された菅原道真公の四柱が祀られています。このように記される経緯を、「式内社調査報…
当社の主神は、若宇加能売命(わかうかのめのみこと)、相殿に櫛玉命と穂雷命を祀ります。「延喜式」神名帳に『広瀬坐和加宇加売命神社 名神大』と見えており、神社名で当時のご祭神が分かる稀な神社です。文献上の初出は、「日本書紀」天武天皇四年(675年…
南海電車の高師浜駅から近く、神社の北方には大きな浜寺公園も広がりますが、海沿いといってもその先には工業地帯の埋め立て地が広がっているのが現状です。現在祀られているご祭神は、少彦名命、天照大神、熊野坐三柱とされます。しかし、「和泉國式内社目…
現在のご祭神は、久波御魂命と天八千千姫の二柱とされる、「延喜式」神名帳登載の古社ですが、かつての考証では様々に説明されています。「磯城郡誌」では、『祭神として延喜式考証に久波御魂命と云々、神名秘書(伴信友)には天八千千姫桑葉を天の香久山に…
当社のご祭神は豊鍬入姫命とされますが、これは地域の伝承からきているようで、諸説があり謎が多い感じです。そもそも「式内社糸井社縁起」には以下の通りあります。『応神天皇十四年百済国より博士王仁来朝此時呉国より綾は(漢織)、呉は(呉織)と云う織…
ご祭神は阿智使主神夫妻。阿智使主は古代渡来系の雄族とも言える東漢(やまとのあや)氏の始祖とされ、この鎮座地はその東漢氏の氏寺として造営された檜隈寺跡(ひのくまでらあと)として有名な地です。社名は、「於美」と「使主」、「阿志」と「阿知」の音…
当社独特の磐座めぐり参拝は一人ではできないのですが、磐座めぐりが出来たとしても写真は撮影できないのだからと、踏ん切りをつけて参拝させていただきました。準構造船の竪板のごとく、とんでもなく大きな御神体はやはり圧巻でした。ご祭神は、物部氏の祖…
当社の掲示で現在掲げられているご祭神は、日本武尊。この御方となると、やはり「白鳥」という言葉がふさわしいですが、それとは神社名とは微妙に異なるし、日本武尊が祀られる地域とこの地のイメージがだいぶ異なる印象があります。ぞれより、少し前に取り…
「鴨神社」を称する神社は全国的に散見され、高槻にも式内論社の三島鴨神社と鴨神社が鎮座しています。その中で当社は、著名な弥生遺跡の中に鎮座している事に惹かれ参拝させていただきました。遺跡の発掘成果を展示する川西市文化財資料館がすぐそばに有る…
ご祭神は大国主命。「日本の神々 河内」「式内社調査報告」での田村利久氏によると、古老が出雲大社と同体だと話していたとのことですが、記録の類はすべて失われていて、由緒は不明です。田村氏によると、渡会延経の「神名帳考証」では、祭神を木の神とし、…
現在のご祭神は、大山祇神が祀られています。ここで早速、平群臣都久(木菟)宿禰でないの?となります。さらに、「延喜式」神名帳での記載は、『平群神社五座並大』であり、ご祭神の柱数も現状と全く合いません。「日本の神々 大和」で大矢良哲氏は、現平群…
現在のご祭神は、蛭子大神、つまり戎神です。この神は、1656年に西宮の円満寺の僧、教順が、現在の西宮神社から蛭子大神を勧請して蛭子大神宮を称したことによります。ただし、神社によると正保年間(1644-48年)には社殿を再建していることから、勧請以前か…
ご祭神は、建凝(タケゴリ)命で、「新撰姓氏録」に、その後裔に奄知造ありと記される神です。さらに「神社明細帳」には創祇が崇神天皇七年とあります。
社名にハッキリ「紀氏」とあるのに素直につながらないご祭神や、なぜ奈良の山の中に和歌山の紀ノ川沿岸を本貫とする紀氏がいるのか?など大変興味深く思っていた神社です。「式内社調査報告」では、都久宿禰、天児屋根命、天照大神、八幡大菩薩の四柱となっ…
「延喜式」神名帳登載の式内社ですが、創建に関する直接の史料は存在せず、「淡路」が何を意味するかは不詳だと、「式内社調査報告」は云います。言い伝えを元にした社伝によると、桓武天皇即位の翌年782年に 塩焼王(天武天皇の孫)を父とし、不破内親王(…
およそかつての鏡作郷にある「延喜式」式内社ですが、伊多神社は古代の筋違道(太子道)と保津・坂手道が交わる要衝に、せいぜい200m程離れて二社あり(宮古の伊多社は鏡作郷か三宅郷かはっきりしない)、一方、麻氣(気)神社の方は式内大社・鏡作坐天照御…
当社の説明では、推古天皇の元年(593年)、勅命により大神君白堤が大物主命を、その後、養老元年(717年)には藤原不比等公が大己貴命と少彦名命を合祀したとされます。これは「大三輪神三社鎮座次第」によるもので、その記載によれば、大物主命が「園神」…
ご祭神は、布都大神。つまり、物部氏の神です。当社による縁起によると、創建の年代は詳かではありませんが、用明天皇の御代に物部守屋公が本據地である「稲村城」(現光蓮寺敷地)の守護神として崇めていた布都大神を奉祀されたものだと伝えられています。…
天理市観光協会のホームページによると、夜都岐神社のご祭神は春日の四神、つまり、武甕槌命、姫大神、経津主神、天児屋根命を祀り、俗に春日神社と呼ばれて奈良市の春日大社と縁が深いと紹介されています。「延喜式」神名帳、「大和名所旧跡案内」、「大和…
当社は、奈良時代の盧舎那仏(奈良の大仏)鋳造に宇佐八幡の神助があった事を縁として、大仏殿の守護神として749年に宇佐神宮より勧請されたものです。ご祭神は八幡大神の四神である、応神天皇、姫大神、仲哀天皇、神功皇后が本殿に祀られ、若宮神社に仁徳天…