高槻近郊・東摂津
[ 牟礼神社/むれじんじゃ ] 茨木市にある三島・島下郡の式内社なのですが、御由緒や祭祀氏族に関する情報がほとんどなく、取り上げあぐねていた神社です。ですので、今回は関連しそうな説明を眺めてみたいと思いました。阪急茨木市駅から徒歩で10分程の、安…
[いばらきじんじゃ・あまのいわとわけじんじゃ ] 川端通に隣接して細長い敷地に鎮座する茨木市の氏神様茨木神社ですが、やはりここでは奥宮で式内社である天石門別神社を主体に取り上げさせて頂きます。当社によると、明治時代の社格制度では、元々政府から…
[ すくくじんじゃ ] 茨木市ののどかな安威の山あいに鎮座する小さな神社で、こんもりと森におおわれた良い感じの境内でした。車で行くには梅花女子大学の門の前から左に曲がって行けば、細い道も短くストレスなくたどり着くことが出来ます。駐車スペースに関…
[ いけだじんじゃ/くれはじんじゃ ] 東摂津の西の端、かつて豊島郡だった池田市に鎮座する、姉妹社の如き二社を同日に参拝させていただきました。伊居太神社の方は、其の名が「延喜式」神名帳に載ることから「式内社」の冠が付きますが、事はなかなか難解な…
大阪でも屈指の人気を誇るベッドタウン吹田市の一角にもかかわらず、大阪府下では今でも勝尾寺と大鳥大社につぐ広大な社叢を持つという神社です。それでも、迫り来る住宅地開発でのご苦労があったようで、境内には平成23年に起こった、本殿を見下ろす位置の…
馴染みにくそうな不思議なお名前を持つ延喜式式内社ですが、駐車場からしてキッチリ舗装されてなかなか広く、境内もきれいに整えられている感じで、たまたま平日に訪れたにも関わらず着飾った七五三の家族連れがおられたりで、現在も広く市民に親しまれてい…
最初、漢字名を見ただけでは読み方も意味も分からなかったですが、吹田インターチェンジ横に有る八丁池とご縁があるらしく、その八丁池が現在も茨木市の飛び地になっているのは当社の為なのだろうか、と想像してしまうくらいのご由緒を感じさせる水の神様で…
摂津三島の式内社です。高槻市の隣でもある吹田市にこの名を冠する神社が二社存在し、ともに式内論社とされています。今回は二社で併記したりして、それぞれの伊射奈岐神と伊射奈美神を一緒に取り上げます。 ・(佐井寺社)一の鳥居。とても急です・・・ 見出…
現在は茨木市で「桜通り」として有名な5kmにもおよぶ細長い緑地公園の一角に、寄り添うように鎮座する堂々「延喜式」式内社です。道路を伴うこの曲がりくねった公園は、元々茨木川下流だった地で、度重なる決壊を防ぐために田中町のあたりで安威川へ合流…
阿久刀神社1の続きです。前回は、「延喜式内社調査報告」など辞典的な資料を中心に由緒等をまとめました。今回は、高槻市による当社周辺地域の弥生~古墳時代に係る発掘成果より得られる時代変遷の話から始めたいと思います。 【神社周辺地域の弥生~古墳時…
(”2”の記事で、当神社から今城塚古墳周辺の発掘成果も含めて、古代加茂氏との関係、ご祭神のことなどを考えてみました) わが高槻市の「延喜式」式内社、摂津国部門で西成郡の坐摩神社に続き、嶋上郡の堂々筆頭(といっても、後は野見神社、神服神社、三島…
高槻市の有名な遺跡、安満宮山古墳から見下ろした麓の位置に鎮座する、何とも気になる神社です。記録で見える限りでは南北朝から存在が確認される安満村の鎮守社でした。゛安満゛の由来については、北接する成合村にあった金龍寺の旧称安満寺にによる(大阪…
藤原鎌足にまつわる遺跡や伝承が多く存在するという茨木市の安威地域。さらに「日本書紀」の安閑紀に三島県主が朝廷に献じた良田である゛上桑原・下桑原゛とされる桑原も近い、安威の集落に鎮座する神社です。昭和29年に茨木市に吸収されるまで、三島郡安威…
枚方市という事で車で行ったので、京阪電車の線路沿いから、「郷社蹉跎神社」の石標のある交差点で曲がって蹉跎参道に入るのですが、これが車一台しか通れない、とても細い参道。こわごわ進んで一の鳥居をくぐり、二の鳥居の手前で右に曲がって神社の駐車場…
だいぶ前に、茨木市の溝咋神社を、東出雲王国伝承と絡めて取り上げさせていただき、2017年の秋ごろ撮影した写真を掲載していましたが、その後、Netを何となく見ていると、2018年の震災後、様子が変わってきてるような感じで、11月のある日にまた参拝して…
以前、磯良神社の近くで仕事をしていた時期があり神社の存在は知っていたのですが、この名前でなく通称の”疣水神社”で覚えていました。鳥居の正面にある近鉄バスのバス停の名も「疣水神社前」ですし、堂々たる石標にも疣水神社とあるのですから、そうなるの…
奈良(鏡作と他田)、京都(木島)、大阪にそれぞれ天照御魂神社という名の神社が存在し、大阪では高槻市の西の茨木市にこの新屋社(にいやにますあまてるみたまじんじゃ)が三社存在します。堂々の「延喜式」神名帳式内社、名神大社です。記録がある貞観元…
日本経済新聞が様々なテーマで定期的に掲載している「NIKKEIプラス1なんでもランキング」。その8月31日の古墳をテーマにした回で、我が今城塚古墳が堂々の1位を獲得しました。それを受けて、その立役者であられます、今城塚古代歴史館の森田克行特別館長に…
以前に摂社である「延喜式」式内社の野見神社を取り上げましたが、今回は高槻市で一番有名な本社の方です。創建は大宰府天満宮に次いで2番目である事がPRされています。その由緒は以下の通りです。 ・本殿 【ご由緒】 ”正暦四年(993年)勅使菅原為理が太宰…
●今城塚古墳が全国の古墳ランキングで1位になり、講演会が催されました●今城塚古代歴史館のホームページに、墳丘内の枯枝撤去作業が完了 した事が記載されました。現在は、本ページの写真よりも整って いると思います。令和の時代が幕を開けました。いわゆる…
★今年2022年、今城塚古代歴史館の春季企画展として、「王家の丘-弁天山古墳群の系譜」が開催されています(3月12日から6月12日)。これまで十分な公開の機会がなかったようです。弁天山C1号墳の三角縁三神三獣鏡などが展示され、無料で見学できます。闘鶏山…
(2023.5.21三角縁神獣鏡の写真追加) ★今年2022年、今城塚古代歴史館の春季企画展として、「王家の丘-弁天山古墳群の系譜」が開催されています(3月12日から6月12日)。これまで十分な公開の機会がなかったようです。弁天山C1号墳の三角縁三神三獣鏡などが…
★こちらの磐手杜神社の記事で、安満宮山古墳の被葬者について、さらに思いをめぐらせてみました★摂津三島の古代史や数ある史跡の中で、3世紀半ばの築造とされ、一番”邪馬台国”に近いと考えられている、三島古墳群の中でも最も古い安満(アマ)宮山古墳。特…
今回は、高槻市の三島古墳群の中でも古墳時代後期にあたる群集墳とそれらにまつわる神社を取り上げます。高槻市中心部から少し北方向にある、いわゆる郊外の住宅密集地に、6世紀後半~7世紀頃の古代遺跡が点在しており、ローカルな人間でしかなかなか訪れ…
現在では、高槻市で野見神社と言いますと、まずは阪急京都線の高槻市駅に近い野見町の、下の写真の野見神社になると思います。私も、子供のお宮参りで大変お世話になりました。下は今年お正月の拝殿前の様子です。この後も境内の外まで約60mほど列が続い…
今回は、茨木市太田にある、宮内庁指定の継体天皇陵の方です。淀川右岸で最も大きく、全国でも21位の規模になります。墳丘や周濠の形状は古市古墳群の誉田御廟山古墳、墓山古墳などと類似するとされ、三島地方で唯一、陪冢を持つ古墳で、被葬者の権力の大…
★ここでの写真は2017年に撮影したもので、大阪北部地震の前です。 2019年、大阪北部地震の後に訪れた時の記事も掲載しました 茨木市五十鈴町の住宅街の中にひっそりと鎮座する、古代史好きは気になって仕方のない神社です。もちろん延喜式神名帳に記載のある…
●今城塚古墳が全国の古墳ランキングで1位になり、講演会が催されました●「その2」として、墳丘内を散策した様子もコチラに記事にしてます今城塚古代歴史館での講演会聴講の機会に、久々に今城塚古墳の方に足を向けてみました。2011年に公園として整備して直…
今城塚古代歴史館としろあと歴史館で共同開催している、「藤原鎌足と阿武山古墳」展。今回は、そのしろあと歴史館の方の展示を見てきましたので、私なりに理解した事をアップ致します。コチラの展示は、古文献や絵図、木像などが展示の中心で、土から出た発…
この10月6日から始まった、今城塚古代歴史館と、しろあと歴史館の合同特別展、「藤原鎌足と阿武山古墳」展。今城塚では、鎌足の活躍した宮都を中心とした遺跡の出土品を展示、一方のしろあと館では、摂津三島の社寺に伝来した鎌足の肖像画や木像の資料か…